南惣は、地主としてアテの木(能登ヒバ)を産出する山林を所有していましたので、徳川幕府の天領として、地の利を得ることが出来ました。
南惣の田畑、山林は、米、材木、木炭を多く産し、山林から出る間伐材は燃料として、製塩や製茶、養蚕も手掛けてきました。
南惣はそれらの産物を、天然の良港である曽々木、名舟、輪島の港から北前船に積んで商い、越中越後の米、会津蝋、小麦などを商っていました。
南惣の歴代の当主は敬神崇祖の念に厚く、文化の移入を尊び、美術、茶道を愛好したことから、日本、中国、朝鮮を主とする絵画、書、漆芸、金工などの美術品を収集してきました。
その中には、宮中に新殻を献上し拝領したものや、東本願寺阿弥陀堂再建(明治28年)にケヤキ材を献納し、その見返りとして受領したものもありました。
南惣家の美術品は散逸することなく今日まで大切に保存され、昭和46年に米蔵を改装して、「能登集古館 南惣」を開館、収蔵品200余点を公開。平成12年「南惣美術館」と改称して現在に至っています。
その中には、宮中に新殻を献上し拝領したものや、東本願寺阿弥陀堂再建(明治28年)にケヤキ材を献納し、その見返りとして受領したものもありました。
南惣家の美術品は散逸することなく今日まで大切に保存され、昭和46年に米蔵を改装して、「能登集古館 南惣」を開館、収蔵品200余点を公開。平成12年「南惣美術館」と改称して現在に至っています。